1月17日発行の<フェニーチェ堺情報誌vol.21>の巻頭特集で取り上げたジャズピアニスト小曽根真さんとスタンダードブックストアの中川和彦さんのスペシャル対談。
スペースの都合で紙面には掲載できなかったなかから、ぜひとも読んでいただきたい部分をピックアップしました。
まずはこちらから本編(PDF版)を読まれたあとに、続けてお楽しみください。
中川
音楽も本も、「なくても生きていけるやん」という人がいて、(コロナ禍などで)色んなものが削られたりするじゃないですか。そうやって文化や芸術を削っていく人って、ちゃんと音楽を聴いたことがないんじゃないかな、と思ってしまいます。
これって、やっぱり不幸なことじゃないですか?
小曽根
本当にそう思う。
結局目に見えるものしか信じていないんでしょう。
数字、売上とかね。
芸術には、見えないものを信じる楽しさがあります。
ひとりの人間が普通に生活していくなかで、芸術から贅沢な時間と心の豊かさを受け取れるというのは、幸せなことだと思います。
それじゃあ飯が食えない、という人もいるかもしれないけど、「すみません、僕はこれでしっかり飯食うてますよ」って。何十億、何百億円のビジネスではないですけど(笑)。
中川
本は売れないといわれています。実際、デジタルで済むようなものもありますしね。
それに対して、“プロダクト”(製作物・商品)としての美しさを追求するという方向性がひとつある。
持っておきたくなるくらいに美しい本、とか。
あと、今やろうと思っているのが、「誰でもみんな、自分の本を作ってみたらええやん」と。
小曽根
なるほど。
中川
本って利益率が低いんですよ。
CDも同じだと思いますけどね。
だからもう、CD屋さんもどんどんなくなってしまって。
でもそこで、自分たちで作るということをまず楽しんでみようよ、と。
誰でも著者、誰でも出版社みたいな。
ホッチキスで綴じるだけでもいいから…、といった風にやっていけば、案外これは心が豊かになるのではないか、と思い始めたんです。
小曽根
形にする面白さ、ですね。
わかります。
中川
「自分でつくったんや!」と実感することが大事で、そうすればひょっとすると、また本を読む人や図書館で借りる人が増えるかもしれません。
体験してみたからこそ、作家がつくったものを見て「これはすごい、こんなことは自分には書けない」という新たな視点が生まれてくるんじゃないか、と。
小曽根
そうですね。
本も音楽も、インターネットやデジタルが出てきたことですごく便利になったんですが、その一方でこの“便利さ”というものにはすごく気を付けないと、豊かな部分が忘れられてしまうというか。
道具が良くなっていけばいくほど、それを使う人間のスタンスや意志次第では、逆に振り回されてしまうことがある。
中川
それはありますね。
小曽根
ピアノって自分の指でコントロールしないといけないのですが、これがたとえばシンセサイザーになってくると、先に音があってそれに左右され翻弄されてしまう人と、この楽器を使いこなしている人とでは明らかに違いがあって。
電子楽器を弾いて人を感動させるミュージシャンと、「ここで弦の音とラッパの音がほしいけれど、ラッパの演奏者を呼ぶ余裕がないからシンセサイザーで弾いています」というミュージシャンとでは、天と地ほどの差がある。
インターネット/デジタルの時代とは、ある意味、人間がもう一度磨かれていく発展途上の時期なんじゃないかな、って気がしますね。逆にふるいにかける、というか。
中川
それをコロナ禍があぶりだしましたよね。
めちゃめちゃ試されている感じです。
小曽根
僕のやり方が絶対に正しいとは思わないし、もちろん色んな方法があっていいのですが、こういうときだからこそ、実感を大事にしていきたいですよね。
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小曽根
『課外授業 ようこそ先輩』という番組(NHKが1998年~2016年まで放送)で、地元の小学校に行ったことがあるんですよ。
2日間あって、まず最初に「このなかで音楽が嫌いな人」って聞いたら、6人くらい手が上がった。
僕はすぐに「ナイス!」といったんです。
中川
そうなんですか?
小曽根
「なにが嫌いなん?」
「面白くない!」と、子どもたち。
「どこが面白くないん?」
色々と聞いていったら結局僕と似ていて、「おれも昔、音楽は嫌いやったんや」というと、みんな「ウソやん!!」と。
「いや、ホンマやで」
中川
もう面白そうな話になってきた(笑)。
小曽根
「今から楽譜を使わずに演奏するからな」と子どもたちにいって、「なんでもいいから、これは楽器になると思ったものを家から持っておいで」と。
するとオタマを持ってくる子、木の桶を持ってくる子、お寺の木魚を持ってくる子もいて、「お父さんに怒られへんか?」とたずねたら、お父さんいわく『大丈夫、貸したる』と。
あとは神社の、あのシャンシャン鳴る鈴もあった(笑)。
それで子どもたちが持ち寄った“楽器”の音から、【聖者の行進】という曲を僕が耳で全部アレンジして、楽譜を一切使わずにワンコーラスだけ子どもたちと演奏したら、もう、すぐにできたんですよ。
「もうワンコーラスやろか?」と聞いたら、みんな「やろう、やろう!」と。
それで結局2、3、4、5コーラスくらいまでつくって、とうとう最後には「歌いたい!」となって。
中川
いいですね!
小曽根
子どもたちは英語の歌詞の読み方がわからないから、僕が英語っぽいカタカナを書いたもので全員が歌いました。
6コーラスくらいやりましたよ。
で、実はひとりいじめられている子がいてね。
曲の最後にその子が木琴をチャーンと鳴らして、ドーンと太鼓で終わるんですが、そのドーンがいつもずれるんですよ。
中川
はい。
小曽根
太鼓の子に、「木琴の音を待ちたくないのかもしれんけどな、この子の音をちゃんと聴いていないと太鼓も叩かれへんねんで。みんな順番に鳴らしていってるやろ?」といったら、「わかりました」と。
そうして木琴の子の音をみんなが聴くようになって、それをきっかけに仲良くなったんだそうです。
中川
へえー!
小曽根
みんながグッとひとつになるんです。
その瞬間に相手を聴いていないと、合わせても意味がないから。
だから結局ね、演奏すること以上に聴くことが大事なんやで、というのを教えるのが最高なんです。
中川
なるほど。そういうことか。
小曽根
そのときの木琴の子はもう結婚して子どももいるんですが、いまだにコンサートに来て僕のことを「マー坊、マー坊」って呼ぶんです。
自分のことを先生とは呼ばせずに、「みんな、おれのことはマー坊(子どもの頃の自身のニックネーム)って呼んでな」と、あのときに僕がいったから(笑)。
なんかね、そういうことを僕はこれからも続けていきたいなって思います。
中川
もう、泣きそうになりますね。