お知らせ
Information
Feature articles

【特集】イスラエル・フィル。その魅力の深淵に迫る!

世界有数のオーケストラ、9年ぶりに来日!
「イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団」日本人元楽団員 神戸光徳インタビュー

9年ぶりに来日するイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団。2026年にミュンヘン・フィル首席指揮者への就任が決まっている34歳の俊英ラハフ・シャニによる指揮や、第18回ショパン国際ピアノコンクール第4位入賞の小林愛実がソリストで登場することで、大きな話題となっています。
2010年から2011年にかけて同楽団に所属し、当時は少なかった外国人メンバーのひとりとして活躍されたティンパニ奏者の神戸光徳さんに、イスラエル・フィルの計り知れない魅力をうかがいました。 (取材日 2023年7月10日)

神戸光徳(かんべ みつのり)

東京芸術大学中退後、マンハッタン音楽院再入学からのエルサレム交響楽団入団。その後イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団にてティンパニ・打楽器奏者として活動。帰国後各地で客演首席として活動しティンパニ奏者としてパシフィックフィルハーモニア東京へ入団。

—イスラエルには5年住んでいらっしゃいましたが、どんなところでしたか?

非常に魅力的な場所ですね。
イスラエルは世界中に散らばっていたユダヤ人が集まって建国されました。ひとくちにユダヤ人といっても、そのなかにはヨーロッパ圏から出てきたグループやアフリカ系に中華系、帝政ロシアや崩壊後のソ連から移住してきたグループなどがあって、暮らしてきた文化的背景はバラバラ。生活様式が違うので、日本人の「あうんの呼吸」のような、口にしなくてもわかる“ゆるやかな社会的合意”が共有しにくく、あらゆる場面で『なぜ、そうなのか』『どうして、そう考えるのか』を問われます。
あちらで最初に覚えたヘブライ語が【למה(ラマ)】という言葉で、なぜ?という意味なのですが、初対面で自分の名前を名乗ったときにも「なぜだ?」と聞かれたんです。ユダヤ人の名前はたいてい旧約聖書に出てくるもので、それぞれに意味(キャラクター)があるので、「ミツ」という名にも同じ様な由来があるはずだと考えたのでしょう。彼らを飲みに誘ってもすかさず「なぜだ?」と返ってくるのには、さすがに辟易しましたが(笑)。

神戸氏提供写真

—ユダヤ人が議論好きと評されるのには、そういった面もあるんですね。

よくニューヨークは人種の坩堝といわれます。私もマンハッタン音楽院時代に住んでいましたが、基本的には人種が違うだけで言葉も文化もほとんど一緒です。それに対してイスラエルほど多様性に富んだ国はないと思います。子どもの頃から多様性に触れているから、違っているのが当たり前で、どちらかにすり合わせるのではなく違うものが点在・共存している、というのが彼らの社会風景。正解であったり固定観念が持ちにくい反面、変化することにためらいがありません。ダイレクトに本質をつかんで、いま一番良いものをみんなで選ぼうよ、というマインドがあります。それはオーケストラのオーディションにも表れていて、一般的には音楽学校の系統であったり、学んできた奏法が重視されるものですが、音楽の理論的背景がメンバーによってバラバラなイスラエル・フィルでは「まあ、とにかく弾いてみてよ」で始まり、うわべではない“自分の音”を持っていると、「良いものは良い」と評価されます。イスラエル・フィルで振ってきた超一流の指揮者たちが「このオーケストラには独自のサウンドがある」をいっていたところにも、それは表れていた気がします。

—サウンドがあるとは?

表現するのが難しいのですが、たとえば私が向こうでバイオリンの教授から受けたレッスンでは、1つの音の出し方だけで延々6時間も取り組むんです。「もっとこういう音で」「違う、こうだ」と。そして音がはまった瞬間だけちゃんとほめてくれる。オーケストラでは、音楽の方向性を決めるためにボーイング(弓の動き)を決めるとき、リハーサルを止めて本気の喧嘩が始まったこともありました。「なんでここでダウンにするんだ、おかしい!」「いや、絶対にこっちだ!」と。私がいた頃はよくぶつかっていましたね。そんな練習を重ねてきた人が集まっているから、指揮者が何か要求してきても自分たちがどういう方向性のサウンドを持っているのかについて、共通認識があるんです。むかしクルト・マズア※がイスラエル・フィルで指揮棒を振ったとき、「報酬なんて雀の涙だが、このサウンドがあるから自分はここに来ているんだ」と叫んだそうですよ。

クルト・マズア:東ドイツ出身。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を長く指揮した。

—イスラエル・フィルといえば今も敬愛される2人の音楽家、レナード・バーンスタインとズービン・メータがいます。

イスラエル・フィルでは、強靭なリーダーシップを持っている指揮者でなければ上には立てないですね。私が所属していたときの音楽監督メータには、絶対的なリーダーシップがありました。本気で音楽をぶつけ合うことによってのみ発生する衝突/化学反応を、指揮者がどのように調理するのか。音楽家としての器や信念はどうか。人の反応をうかがいながら忖度して生きてきたかどうか、オーケストラには瞬時にわかってしまいます。そこが怖い面であり、楽しい面でもありました。フレーズにしても音量にしても理にかなっていれば受け入れますが、そうでなければ相手にされない。基本的にはとてもオープンな人たちなのですが、そのあたりはハッキリしていたと思います。

—ひと筋縄ではいかない。

イスラエル・フィルにはずっと語り継がれている伝説の公演がいくつかあって、かつて大阪でバーンスタインが振ったマーラーの9番は言葉を超えた超絶体験の音楽だった、とたくさんの方から聞きました。レニー(彼の近くで仕事をした人はみんなバーンスタインを愛称で呼んだ)はじっと涙を流し、往年の奏者たちも意味もわからず涙が止まらないまま演奏を続けて、曲の最後を迎えると席を立つどころか、弓を下ろすことさえできなかった。「芸術の本質の中を生きた感覚」だったそうです。自分たちの理想の響き、これだ!というサウンドは、こうやって積み上がっていくんですね。

—イスラエル・フィルは弦の音が白眉であると称賛されますね。伝統だ、と。

たしかにユダヤ人特有の、弦の音がものすごく吸い付く瞬間があります。コーガンやハイフェッツなど、昔からユダヤ人には有名なバイオリニストが多く、イスラエル・フィルの創設者フーベルマンもそうでした。楽器の良し悪しとはあまり関係がなくユダヤ人独特の音の感覚があって、それがオーケストラになると増幅されるわけですから、他とはちょっと違ったキャラクターになります。私がいた頃はダークなサウンドといわれていて、民族色が強いというか、音の概念が違うと感じたものです。
どう違うのかを説明するのは難しいのですが、たとえば暗譜のことを英語ではmemoryとかmemorizeというのに対して、私がレッスンを受けた先生はPlay by heart、bottom of my heartと表現しました。非常に人間的に音をとらえ、有機的な演奏をする。普遍的な音を出したいとみんなが思っていて、うずをまくような、うねるような音が弦楽器からするというのが特徴ですね。

—なぜ独特の音がするのでしょう?

友人から聞いた話です。音楽と生活が一体化している文化的背景に加え、ヨーロッパ社会で永く迫害されてきたユダヤ人にとって、生きていくために手っ取り早く稼げる数少ない方法がストリートミュージシャンでした。技術さえあればどこでも稼げるし、バイオリンなら隠すこともできます。最悪、バイオリンを売ってお金に変え、子どもにパンを食べさせることができる。だからユダヤ人の家庭にはバイオリンがあって、弾ける人も多かった。子どもの頃から家族のなかにいつも音楽があり、習い事ではなく生活のツールとして弦を弾いてきた人たちが音楽家という職業を選択したら、それはやっぱり音や音楽に対する概念が違うでしょ、と。
私がイスラエル・フィルにいた当時の首席チェロ奏者はずいぶん年季の入ったベテランで、オーケストラではストラディバリウスを貸与されて使っていましたが、自分の持っているチェロはツギハギだらけ。「おれは楽器なんてなんでもいいんだ、別に弾けるから」といっていました。

—そのあたりが“本質をとらえる”というところでしょうか

ユダヤ人はきわめて現実的なんですよ。私がイスラエルに住んでいた頃はホロコーストを生き延びた人がまだまだいて、オーケストラには兵士として中東戦争※を戦った経験のある人が何人もいました。昨日まで一緒に飯を食っていた友達が、今日は自分の隣で死んでいる。そんな世界です。私の祖父母も戦争を体験していますが、イスラエルでは昔の話ではありません。21世紀に入ってからもレバノン侵攻やガザをめぐる戦いなどで、みんなが過酷な経験をしています。男だけの話でもありません。徴兵制があるので男性は3年、女性は2年、兵役を務めます。イスラエルは小さな国で、国内どこからでも車で3~4時間も走ればそこは戦地、係争地です。あるいは自爆テロで、身体中に爆弾を巻きつけた人が飛び込んでくる日常が、ついこの間まであった。だから、彼らは物事の序列が明確です。何が好きで、本当にやりたいことをしているのか。その人がどう生きているのかがとても重要で、失敗なんて些細なこと。死が身近にあるので、余計なことに人生を費やすヒマがないんですね。アップダウンがあるのは当たり前なんだから、助け合ってどんどん前に進もう。やりたいことをやろうよ、と。

中東戦争:1948年から1973年まで、イスラエルと周辺アラブ国家との間で断続的に行われた戦争。

—だからでしょうか。イスラエル・フィルは年間の公演数がとても多い。

昔は30,000人以上の定期会員がいて、どのコンサートも満席でした。さらには1~2カ月間(昔は3~4カ月間!)のツアーを繰り返すので、もう毎日飛行機に乗って毎日違う町に行って、同じプログラムをずっと演奏していく。会場が違えば音響環境もガラッと変わって演奏する方は大変なのですが、たとえば「カーネギーホールはこういう響き方をするから…」と指示できるベテラン奏者がたくさんいるから、音の集まりどころが経験値で蓄積されているんですね。満員の客席を前にして、ときには酷評もされながら「もっとよく、もっとよく」「音楽の普遍的な美しさをダイレクトに伝えたい」と、プロ意識の高い集団が公演を重ねるのだから、どんどん音の体幹が太くなっていきますよね。オーケストラはこうやって育つのだ、と痛感しました。居場所のなかったユダヤ人が念願の国を持ち、何もないところから自分たちでオーケストラを組織して、とにかくいい演奏をしようと励んだ創設期の思いが今も息づいていて、たくましさの伝統も続いているといえるのかもしれません。

—そんなオーケストラを率いるのが天才との呼び声も高い若き音楽監督、ラハフ・シャニです。

指揮 ラハフ・シャニ
©Marco Borggreve

彼はもともとコントラバスとピアノをやっていて、一度聴いたら何でも弾いてしまうので、これくらいの天才はなかなか出てこないといわれていました。イスラエル・フィルではメータのもとで副指揮を務めたあと、ロッテルダム・フィルの首席指揮者に抜擢されて一気に表舞台に出て行きました。

—2020年からはイスラエル・フィルの音楽監督に就任しています。メータの後継者といっていい立場ですが、オーケストラにとってシャニは特別な存在なのでしょうか?

イスラエル・フィルには奏者も指揮者も、世界中から優秀なユダヤ人が集まってきますが、
イスラエル生まれイスラエル育ちのユダヤ人としては彼が初の音楽監督です。もちろん実力がなければ就けない役職ですが、同国人を音楽監督に迎えたいという団員の思いもありますね。同じ国に生まれた才能のある若者を盛り立てたいと考えるのはおそらくどこでも一緒でしょうし、今回のプログラムにあるツヴィ・アヴニの「祈り」という曲は私は知りませんが、現代イスラエル人作曲家の曲を演奏するのは、日本のオーケストラが武満徹を弾き継いでいこうとするのと同じです。

—今回のプログラムの印象はいかがでしょうか。弦の音を聴くにはふさわしい選曲だと思いますが。

そうですね。イスラエル・フィルの定期公演ではベートーヴェンなどの古典はほとんどやらないので、今回のベートーヴェン「交響曲 第7番 イ長調 作品92」は非常に珍しいプログラムだと思います。ツアーでの演奏となると特にレアですね。
ショパンの「ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11」については、20世紀を代表するピアニストのひとりでショパンを得意としたアルトゥール・ルービンシュタインの名を冠したルービンシュタイン国際ピアノコンクールが開催されているのがイスラエルです。それにソリストは、第18回ショパン国際ピアノコンクールで4位入賞の小林愛実さんですよね。
人間味にあふれたイスラエル・フィルの演奏は、クラシックファンにはもちろん、感受性の豊かな若者にもぜひ聴いてほしいと思います。美しいという表現に収まりきらないほどのダイナミズム、エネルギーの解放を受け取って、音楽を聴く喜びだけにとどまらない出会いとなることでしょう。実はイスラエルは、自殺者や鬱になる人の数が世界でも圧倒的に少ないんです。家族や仲間同士のつながりがとても強いユダヤ人文化の影響もあるのでしょうが、その生命力の一端を間違いなく感じられる公演になるでしょう。
私もイスラエル・フィルに参加させてもらって、本当によかったと思います。イスラエルで過ごした5年は、人生を変えてくれました。次はあなたの番かもしれませんよ!

ピアニスト 小林愛実
©Makoto Nakagawa